25. 息子の働きぶり

2024年8月25日

まえがき

 上京した川西達郎は幼馴染の黒枝豆男に会います。

ストーリー

東京駅ドーム

 すでに30分以上、川西達郎はそのダーツの的のような床の中心部分に立って口をポカンを開けたまま、JR東京駅丸の内駅舎の南口コンコースのドーム内の豪華な装飾に見惚れていました。

 丹波篠山の中学校を卒業後、先代の窯元清和に弟子入りし、その後50年間のほとんどを、ろくろを上から見ることに費やしてきたのですが、見上げた東京駅のドームがろくろに見えて、その黄色い天井と八羽の雄飛する白い石膏の鷹、木目調の放射状の梁などの全てをかめ釉薬ゆうやくで表現してみたいと陶芸家の血が騒いだのです。

 「いてっ。」

 さすがに、首が痛くなり川西達郎は視線を下げました。JR新大阪駅からこだまに乗車して東京駅に着いた後、出口が分からず1時間は迷い、疲れて出たところが丸の内南口だったのですが、人々が上を向いて携帯で写真を撮っているのを見て、見上げたところこの豪奢な光景だったのです。

 川西達郎は傍から見ると完全に田舎者で、記念写真を撮る他の見物客のじゃまになっていたのも気づかずに、早く工房に戻ってろくろを回してああしたい、こうしたいと思いは募るのでした。

 本来なら絶対体の丸い奥さんの川西花子さんがいっしょでないと上京してくることなど無理なのですが、娘の佐紀さんが昨年お嫁に行ったために店の切り盛りと経理事務で動けなかったのです。奥さんの川西花子さんにしたら、いざとなったら携帯のGPSで探せるわと軽い気持ちで「初老のおつかい」に送り出したのでした。

 こんな川西達郎ですから、東京メトロなんてとてもとても無理ですので、タクシー乗場で関西では絶対見かけない黄色に赤のストライプの派手なタクシーに乗車して、運転手に地図のコピーを渡し、飯田橋へと出発しました。

 東京都千代田区、JR総武線・中央線「飯田橋」駅前の32階建の高層ビルの中層階のワンフロアーに業界10位より少し下の微妙な立ち位置の準大手ゼネコン「間久戸まくど建設工業」の本社があります。建設業界は公共事業の減少が大きく響いており、コロナ後の需要で持ち直したいのですが、大都市の駅前再開発は上位5社のスーパーゼネコンの独占状態で間久戸まくど建設工業では全く手が出ず、中小都市で上位会社のJVジョイントベンチャーに入って何とか事業をコツコツと確保しております。もっとも、建築で利益を出すのに苦戦しているところを土木の収益で何とか面目を保っているという状態です。

 川西達郎は昨年芦屋市の私立大学を単位足らずで卒業させた息子の俊夫を、自分の丹波篠山の中学校同級生で親友の同社取締役黒枝豆男に頼み込んで面接を受け、何とか入社させたのです。その上、黒枝邸に下宿させてもらっています。

 今回の上京は俊夫に知らせたくなかったので、会社で黒枝豆男と会う約束をしたのでした。受付のかわいらしいお嬢さんを見て、東京は女優さんのようにきれいな娘が受付をしているすごい所だと改めて感心したのでした。

 応接ブースで黒枝豆男と会い、単刀直入に俊夫の働きぶりを質問しました。

 「う~ん、厳しいぞ。普通なら3年である程度まで社員として仕上げるところだが、俊夫くんの場合は少なくとも5年はかかる。それでも、上出来だが。」と困ったように黒枝豆男が答えます。

 「まあ、うちだったら何とかやっていける部署はあるから、出世とか考えず与えられた仕事を一生懸命にやり遂げていけば、人並み以上の暮らしは出来るだろう。」と、黒枝豆男は善意から言いました。何しろ東証一部上場で、社員数は関連会社も含め4,000人近くいます。

 「もし、あと1年ここで修行したら、わしの工房を継がすことは出来んだろうか。」と、川西達郎が悲痛な顔をして聞きます。

 黒枝豆男はフーッと大きなため息をつき前のめりになって顔を近づけ、川西達郎の目をじっと見て言いました。

 「そうだな、俺とお前の仲だから率直に言うが、止めとけ。そんな簡単に経営の力はとてもつかん。両方とも潰すだけだ。あいつはここに残して、後継者は従業員か外部から招いた優秀な奴にした方が良いぞ。」

解説

非同族事業承継

 後継者の選別においては、法人事業を承継する意思があり、しかもより発展させるだけの能力を兼ね備えた者が一族の中にいない場合は、その事業を一族外の者に承継させる道を選ぶことになります。その方法としては、MBO(役員又は従業員への株式売却)又はM&A(他社との合併、他社からの買収)があります。

MBO

 MBOの場合、会社の経営陣が存続し従業員の雇用も継続されますので、従来の経営方針の継続ができます。現経営者は、流動性の乏しい非公開自社株を役員又は従業員に売却して、流動性の高い現金・預金に変えられますので、相続税の納税資金を確保できます。問題は、役員又は従業員が自社株購入資金を調達できるかです。(細かくいうと、経営陣が承継する場合をMBO(Management Buy Out)、従業員が承継する場合をEBO(Employee Buy Out)といいます。)

M&A

 M&Aの場合、会社の経営権を全て他社に譲り渡すことになりますので、従業員の雇用がそのまま継続されるかは、買収会社の経営方針次第になる危険性があります。一方、現経営者としては、流動性の乏しい非公開株式を買収会社に売却して、流動性の高い現金・預金に変えられますので、相続税の納税資金を確保できます。問題は現経営者の希望する条件(売却価額、従業員の継続雇用など)を受け入れる企業が見つかるかどうかです。