29. きつねにだまされる
まえがき
川西達郎宅をしぶがき銀行支店長と次長が訪問します。
ストーリー

木津根支店長と田貫次長は窯元清和の店頭からではなく、工房建物の側面にある非常階段のドアを開けて待つ川西花子さんに誘導されて3階の川西宅に上がり、和室に入りました。川西達郎は 1階の店舗事務所で話すのは従業員によけいな動揺を与えるだけと判断したのでした。
「先日はご来店いただいた折、留守にして申し訳ありませんでした。」と、木津根支店長は「有馬焼」と染め抜かれた座布団に正座して頭を軽く下げました。そして、テーブルに花子さんが置いた、有馬焼の湯飲みの湯気をふーっと吹いてゆっくりズズっと一口飲みました。
「 融資できるようなったんですか。」と、シビレを切らして川西達郎が聞く前に花子さんが思わず言ってしまいました。「それで支店長さんが来てくれはったんでしょ。」
「いえ、奥さん、申し訳ない。融資の件についてはこの間ご主人にお話したことから変わりはないんですわ。」と、3階まで階段を登っただけで額にかいた大量の汗を手で拭いながら、赤ら顔の田貫次長が返答します。
川西達郎は、それやったら何しに来たんやと心で思うのを堪えて、木津根支店長の発言を待ちました。
「川西社長、実は、この2週間本店に何度も足運んで、窯元清和さんの融資の件を掛け合ってたのです。当支店としても何とか清和さんに経営安定化して発展してほしいのです。」と、木津根支店長は心にもないことを平気な顔をして言います。
「しかし、本店では、不動産業ならともかく、日銭の入るご商売をされていて元本の月々返済がいつまでも難しい上に追加融資を希望されているというのは、経営状態がかなり厳しいのではないかと、現状ではこれ以上の融資は難しいと判断しているんです。元本の猶予をし始めたのはコロナ後からで、これでまる2年になりますからね。」と、一息おきます。
「それで、田貫次長もお聞きしたことなのですが、息子さんはいつごろ後を継がれる予定なのでしょうか。」
川西達郎は少し躊躇しましたが、隠しても仕方ないと、思い切って言いました。
「いや、息子は後を継ぎません。従業員にも継げる者はいません。」
「そうですか。東京に行かれていたと奥様にお聞きして、その件ではないかと思っておりましたが、実に残念です。」と、実はホッとした木津根支店長は田貫次長に目配せします。
「川西社長、ご安心ください。支店長がですね、今日は社長と奥さんに喜んでいただける提案をお持ちしたんですわ。」と、田貫次長が大げさに両手を広げて満面笑みを浮かべて大きな声で言いました。とてもわざとらしいですが、落ち込んでいる二人には効果的でした。
「ど、どんな提案なんですか。」と、川西達郎と花子さんは二人揃って声を上げました。
木津根支店長は、ここぞとばかり、十分な間を置いておもむろに、大きな声では言えませんがと、小さな声で話し出しました。8畳と6畳の続き間の和室で、自然と4人の頭が近寄ります。
「お持ちの株式を全部お売りになりませんか。」
「それは、つまり、会社を売れということか。」と、川西達郎は半ば覚悟はしていたことではありましたが、裁判官に判決を下されたようで思わず声を荒げてしまいました。
「お父ちゃん、落ち着いて。」と、花子さん。
木津根支店長は、川西達朗の真っ赤になった顔色が元に戻るまで待って、言いました。
「その通りです。それが、当行としては、川西社長にとって最善だと思っております。」
「川西社長は生命保険(長期平準定期保険)に加入されていますが、それを解約して定期預金にしていただければ、短期借入金をもう1年更新することは可能です。」
「しかし、後継者がいないのですから、生命保険の解約返戻金は社長の退職金となさるのがよろしいです。このまま万一のことがあれば、お子様は自社株を高い評価で相続され、相続税が納税できずに延納となり利子税まで負担することになります。経営承継をされないので、相続税の納税猶予制度が利用できないのです。」
「株式の購入企業との交渉で、従業員の継続雇用や窯元清和の「のれん」を残すことはできます。この工房兼ご自宅も担保に入っていますが、そのまま債務も引き継いでもらって、株式売却代金が現金で入りますから、お二人の老後の生活資金とお子様の将来の相続税納税の心配もしなくて済みます。」
「どうですか、最善の提案かと思いますが。」と、木津根支店長と田貫次長は、二人の表情を見逃すまいとじっと見つめます。
「でも、赤字ぎりぎりの会社なんて買ってくれるところあるんかしら。ね、お父ちゃん。」と、花子さんが小声のつもりで、大きな声で聞きます。
「大丈夫です。実は、その目星もついております。」と、木津根支店長はニヤッとしました。
解説
法人版事業承継税制
法人版事業承継税制とは後継者である受贈者・相続人等が、円滑化法の認定を受けている非上場会社の株式等を贈与又は相続等により取得した場合において、その非上場株式等に係る贈与税・相続税について、一定の要件のもと、その納税を猶予し、後継者の死亡等により、納税が猶予されている贈与税・相続税の納付が免除される制度です。
つまり、中小企業の経営者が息子(娘)を後継者にした場合、会社の株式等の贈与を受けたあるいは相続した息子(娘)さんは通常は贈与税・相続税を申告期限までに納付しないといけませんが、この方法をとれば息子(娘)さん自身が死亡するまで納付を延期でき、しかも死亡時には免除されるというありがたい税制なのです。
贈与・相続を受けた者はその企業の代表者となり株式を保有して 5年間事業を継続しなければこの税制の適用はありません。
この税制には一般措置と特例措置の 2種類があり、特例承継計画を提出すると特例措置(令和 9年末までの贈与・相続)の適用となり、会社の全株式を 100%納税猶予されます。実質税金が 0円となるのです。
なお、贈与税の相続時精算課税の適用を受けるには、60歳以上の者から18歳以上の者への贈与であること(特例措置の場合)が必要です。これは簡単に言うと、贈与税を相続時まで延納して相続財産と合算して相続税額を計算し納税すれば良いということです。
ただし、中小企業であって株式の上場をしていないこと、風俗関係でないこと、経営者の株式を管理する資産管理会社でないことが条件です。
参照「非上場株式等についての贈与税・相続税の納税猶予・免除(法人版事業承継税制)のあらまし」国税庁サイト
川西達郎・花子夫婦には嫁いだ長女佐紀さんと長男俊夫くんの二人の相続人がいますが、どちらも後継者とならない場合はこの税制の適用がないので納税に苦しみますよと木津根支店長は動揺させているんですね。








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