50. 依頼者の正体

2024年8月25日

まえがき

 坂元八造は西川しんに事業の依頼者の正体を告げます。

ストーリー

スイス・チューリッヒ

 神戸再開発ファーム合同会社の江川繁代表は、観光施設事業者であるザ・オーバーヘッドホテルズ日本法人と株式会社西川アセットコンサルタントの二社に配布した資料「宝塚~有馬地区シャトルバス運行事業計画」に基づいて、次のような提案をしました。

 「共同出資でシャトルバス運行会社を設立・運営されてはいかがでしょう。出資配分は、双方の事業規模・売上予定・集客予定数等を勘案して出資配分比率案を出しております。」

 配布資料には、事前に配布されたもの以上に詳細にそれぞれの観光事業計画の内容が記載されたマル秘資料が添付されていました。両社はすでに秘密保持契約を取り交わしております。

 その内容を見ていた坂元八造の目が、有馬地区の事業計画に「有馬焼窯元清和」の買収予定が記載されている部分に釘付けとなりました。坂元の長男一八(かずや)のお嫁さんの実家なのです。

 やがて決意したように、坂元八造が口を開いて不動産コンサルタント西川しんに語り出しました。

 「出資をするかどうかの前に、西川さんにお尋ねしたいことがございます。」

 「私どものザ・オーバーヘッドホテルズチェーンの本部はスイス連邦の最大都市チューリッヒにございます。スイスといえば、「アルプスの少女ハイジ」の舞台であるデルフリ村のアルプス山脈の自然豊かな風景が思い浮かびますが、ご存知のように永世中立国としても有名です。」

 「一方、国民一人当たりのGDPは世界トップクラスであり、「スイス銀行」と呼ばれることもある世界中の富裕層の資金が集まる「プライベートバンク」の存在という違う一面もあるのです。」

 「プライベートバンクは、世界的に展開する証券・投資銀行のプライベートバンク部門と、伝統的で小規模なプライベートバンクに分かれます。私どもはそのどちらともお付き合いがございまして、六本木にも支店のございます世界的な証券・投資銀行のフレディ・スミスから、以前非常に有望で高配当の投資案件の紹介を受けたことがあります。」

 「経営陣はとても乗り気であったのですが、オーナーが先代から非常に親しくしています伝統的プライベートバンクのプライベートバンカーに相談したところ、「理由は申し上げられませんが、お勧めできません。」と言われて投資を断念した案件がございました。オーナーはこのプライベートバンカーを深く信頼していたのです。」

 「結果は、その投資事業は頓挫とんざし、世界中で多くの被害者が出て、私どもは助かったわけでございます。そのファンドを組成して資金を集めたのが、後で判明したのですが世界的犯罪企業 「WSSP」 であったのです。フレディ・スミスからは中国系企業と説明を受けていたのですが、その確証もございませんでした。」

 西川しんは坂元社長の語る意図が分かりませんでしたが、聴く姿勢を保ちました。

 「その企業の本社はイギリス領ケイマン諸島となっているのですが、実体はそこにはございません。しかし、ヨーロッパはもちろん、アメリカ合衆国、香港、シンガポール、タイ、オーストラリアなど世界中に現地法人を設立しているようです。つまり、ケイマン諸島にある会社を通じて世界中に資金を投資・回収し、洗浄をしていると思われます。」

 坂元はそこまで熱意を込めて一気に語りました。隣に座っている金田俊哉は「坂元さん、良いぞ。迫真の演技だ。」と心の中でつぶやきました。

 坂元は西川の目をじっと見つめて続けました。

 「その現地法人の一つが日本にも設立されました。東京都港区赤坂に本社を持つ、「一般社団法人日本名勝保護協会(JSSP)」です。」

 西川は努めて冷静を保ち聴いておりましたが、法人名を聴いた時のわずかに当惑した瞳の動きを深田理事と坂元八造、金田俊哉の三人は見逃しませんでした。

解説

ケイマン諸島

 パナマ文書が公開され日本の個人や企業名について約400件の記載がありましたが、それらの個人・企業のほとんどが違法に問われることなく処罰も受けていない結果に肩透かしを食らった感じがした方も多いのではないでしょうか。

 しかし、実は日本ではイギリス領ケイマン諸島の利用が圧倒的に多く、流出した中米パナマのモサック・フォンセカ法律事務所の作成文書(パナマ文書)ではケイマン諸島の利用数がほとんど含まれていなかったのです。

 つまり、日本人や企業のケイマン諸島の利用数は約400件よりもはるかに多いのです。

 日本銀行サイトで公開されています「国際収支統計(IMF国際収支マニュアル第6版ベース<2014年1月取引分~>)」の中の「証券投資等残高地域別統計」(2015年末)において、ケイマン諸島への証券投資残高(資産)はアメリカ合衆国への証券投資残高165兆154億円に次ぐ74兆4,264億円となっています。

 3位はフランスへの証券投資残高26兆7,889億円ですから、いかに突出しているかがわかります。

 この投資残高の72.2%は投資ファンド持分なのです。また、ケイマン諸島への証券投資残高(負債)は7兆2,642億円であり、その81.3%は債券(中長期債中心)となっています。

 日本国内の一般社団法人等を利用するなどの節税対策もございますが、まだまだケイマン諸島に設立した投資ファンドの利用は増え続けているのです。

 ケイマン諸島を通じての租税回避は日本政府も以前から把握しており、日本国政府とケイマン諸島政府は 2011年(平成23年)2月7日にロンドンで「脱税の防止のための情報の交換及び個人の所得についての課税権の配分に関する日本国政府とケイマン諸島政府との間の協定」に署名しています。

 これにより、一方の政府が要請すれば、犯罪を構成するか否かを考慮することなく要請された政府は情報提供をすることになりました。

 この協定は平成23年11月13日に発効し、同日以後に課される租税について適用されています。この協定により脱税行為や資金洗浄(マネー・ローンダリング)を阻止するとともに、国際課税制度により課税逃れを防止しているのです。

プライベートバンク

 スイスにおける伝統的なプライベートバンクは、1名以上の経営に無限責任を持つパートナーであるプライベートバンカーの存在する、小規模であり資産運用に特化したバンクです。

 この場合、日本での合資会社の形態が近いといえます。スイスの銀行はその「守秘性」が有名ですが、世界的な脱税や犯罪資金の洗浄(マネー・ローンダリング)の阻止のためにその守秘性は破られる傾向にあります。

 ジュネーブを拠点に1934年に設立されたスイスプライベートバンカー協会の会員は、

の6行のみとなってしまいました。20年ほど前は15行でしたが、無限責任から有限責任に移行したり、廃業したりと徐々に減ってきています。

 有限責任制をとっているスイスの大手銀行としては、名門のPictet & Cie(ピクテ、1805年設立)があり、東京都千代田区丸の内に日本法人のピクテ・ジャパン株式会社があります。

 また、世界的金融機関のCredit Suisse(クレディ・スイス、1856年設立)はUBS Group AG(ユービーエスグループエージー)に統合されました。