52. 過失の責任
まえがき
西川真は特定事業者として落度がなかったか確認します。
ストーリー

鮮やかなレッドカラーのテスラ・モデルYを自動走行にし、金田俊哉はハンドルから手を離し膝の上に置いて前を見たまま、後部座席の真ん中に座って黒の中折れハットにいつも通りのムスッとした顔で腕を組む深田理事に問いかけました。
「西川社長は日本名勝保護協会が犯罪組織と知っていたんでしょうか。」
一般社団法人日本名勝保護協会(JSSP)は世界的犯罪企業WSSPが日本に設立した末端組織であり、日本の国土、水源及びCNT(カーボンナノチューブ)の取得を狙って暗躍しています。
「初めて知ったようじゃな。」と、深田理事。
「私もそのように感じました。」と、助手席から振り向いて坂元八造も同意しました。
「とても悪事に手を染めるような人には見えませんでしたが。」
「それはこれからの行動で明らかになるじゃろうて。あいつに覚悟ができるか、じゃな。」と、深田理事は腕を組んだまま左手であごをさすって答えました。
「シュンはどう思った。」と、坂元八造は運転席の金田俊哉に問います。
「良い人かどうかは分かんないですけど、俺と同じ臭いがしましたね。」
「何だ、また臭いかよ。」
「金持ちの社長と聞いていましたけど、俺には俺と同じというか、もっと貧乏だったんじゃあないかと鼻で感じられたんですよ。どぶ板をめくって底を漁っていたような生活をしていたんじゃないかなあ。」と、前を向いたまま金田俊哉が答えました。
「よくどぶ板(溝板)なんて言葉を知っていたな。」と、元国語教師だった坂元八造が感心します。
「西川社長が通報するかどうか、待つしかないのですね。」と、坂元八造は深田理事に再度尋ねます。
「それは、西川という男が自己が多額の賠償を抱える危険性を選ぶことじゃからな。」
「自社は手を尽くしたから問題ないと、それで平気でいられる人ではないようですしね。」
「それによって、あの男の価値は決まるわい。」と述べ、深田理事は目を閉じて深いため息をつきました。
テスラ・モデルYは六甲大橋を渡り、ヨンサン(国道43号線)から生田川を北上してJR新神戸駅へ向かいます。鮮やかなレッドの流線形ボディーをした大きなクロスオーバーSUVは歩行者が振り返って見る圧倒的存在感です。
※
神戸再開発ファーム合同会社の近くのコインパーキングで待機していた運転手は、予定時刻より一足早く出てきた社長の西川真に気づいて慌てて少し濃い目のイリジウムシルバーの SクラスAMGの運転席から飛び出しました。
そして素早く後部座席のドアを開けると、西川真は「ありがとう」と運転手に気遣って後部座席に静かに乗り込みました。
中之島の本社に急いで帰社するように運転手に告げ、西川真は膝上にラップトップパソコンを広げて、クラウドに保存している一般社団法人日本名勝保護協会(JSSP)のフォルダを開けました。
法人登記事項証明書、定款、貸借対照表・損益計算書・事業報告書等の財務諸表、事業内容の記載書面、及び代表権限を有する者の名前・生年月日・住所・運転免許証の写し等のファイルに急いで目を通して、西川真は特定事業者である自社の取引時確認事項には問題がないことを確認しました。
ただ、もし日本名勝保護協会がこの内容を偽っている可能性があると、法令上要求されていない事項の情報まで取得しなければならないが、それでもし坂元社長が述べたことと一致する情報が確認された場合はどうすべきか、それに伴う問題とはと、西川真は無意識に右手でネクタイを緩めて、考え込みました。
「何てことだ。もしそうだったら、俺は破滅だ。」と、西川真は事の重大さに身を固くしました。
もし「疑わしい取引」に該当して有馬地区の高級会員制ショッピングモール事業が中断しても、困るのは有馬地区の買収先の地権者であり、その賠償に自分は逃げるわけにはいかないと考えるのでした。
解説
特定事業者の免責
「犯罪による収益の移転防止に関する法律(犯罪収益移転防止法)」では、第5条「特定事業者は、顧客等又は代表者等が特定取引等を行う際に取引時確認に応じないときは、当該顧客等又は代表者等がこれに応ずるまでの間、当該特定取引等に係る義務の履行を拒むことができる。」として、特定事業者の免責について定めています。
「疑わしい取引」の届出をしたからといって、届出者が罰則を受けたり賠償を被ることは通常ありません。なぜなら、罰するべきは偽って取引をしようとする者だからです。
金融機関等の特定事業者側としては、犯罪収益移転防止法に従って、疑わしいと思われる取引者の届出をして自らが罰せられるとしたら、届け出る者はいなくなってしまいます。
しかし、気づかずに取引が進んだ後に判明した場合、疑わしい者と取引した相手方が実質的な被害者であり、損害賠償の請求先は第一に「疑わしい者」です。
「疑わしい者」はもともと偽って取引に入ろうとした者であり、その相手方は賠償を受けることも困難でしょう。
そして第二に金融機関、金融商品取引業者等の特定事業者に賠償請求をするでしょう。その場合、特定事業者に過失があったかが問題となってきます。
気づいたがそのまま取引を進め、取引後に事実が判明した場合、特定事業者が通謀していたと疑われるケースもあり、特定事業者の信用を大きく損ねる結果となります。
ただ、再度自主的にさらなる確認事項の取得をすることは難しいですね。
法人を間接的に支配する者の存在、イランや北朝鮮と関係があるかなどを確認するのですが、もし、それに疑わしい者が答えない場合、それ以上の継続的取引を断れるかどうかです。
断った場合は、金融機関等にとっての「優良顧客(疑わしい者)」を失い、その疑わしい者から損害賠償を求められる危険性もあるからです。
西川真は、自己の判断で、疑わしい取引の報告をして事業の出資者から日本名勝保護協会を除外した場合、開発事業を継続する資金難に陥り、買収してきた有馬地区の地権者への補償問題と、日本名勝保護協会から賠償請求される危険性を受け入れる覚悟に迫られているのです。
賠償も覚悟の上で「疑わしい取引」の届出をするかどうかで西川真の人間性が分かると深田理事は述べているのです。








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