56. 不法輸出

2024年9月10日

まえがき

 伊勢信一郎は多国籍犯罪企業WSSPのしっぽを掴むために動きます。

ストーリー

JAXA HⅡロケット

 東京霞ヶ関にある金融庁の監督局総務課特定金融情報第2係では、電子政府(e-Gov)を通じて不動産コンサルタント西川しんから申請された一般社団法人日本名勝保護協会(JSSP)に関する「疑わしい取引」の届出ファイルの内容を審議していました。

 金融庁では届出が「疑わしい取引」に該当するか庁内審議を経て、国家公安委員会へ通知がなされています。今回の申請では、既に内閣官房から多国籍犯罪企業WSSPの関係が疑われる取引は通知するように関係各省庁に通達が出されていたこともあり、金融庁から国家公安委員会への通知は速やかになされたのです。

 国家公安委員会の管理下にある警察庁には犯罪収益移転防止対策室(JAFIC)が設置されています。ここでは、疑わしい取引に関する情報を集約し、整理・分析し、捜査機関等に提供します。金融庁からの通知された日本名勝保護協会(JSSP)の取引に関する情報もここで分析され、検察庁及び兵庫県警等の捜査機関に情報提供されるのです。

 公益財団法人みやこ財団の理事長室の黒革張りの応接ソファに、榊理事長と伊勢信一郎は向かい合って座っていました。テーブルに置かれたコーヒーカップからは理事長の好みのモカの甘い香りが漂っています。

 「今朝、内閣官房長官から日本名勝保護協会(JSSP)に関する「疑わしい取引」の届出がされたことの報告があった。」と、榊理事長。

 「これで、有馬地区と六甲山系の山林と水源の買収はストップし、多国籍犯罪企業WSSPの手から守られたわけですね。深田理事も安心するでしょう。彼は西川しんを気に入った様でしたから。」と、伊勢信一郎が応えます。

 「国土と水源の保護という最低限の目標は達成されたわけじゃな。しかし、この届出だけでは検察も立件は難しいじゃろう。」

 「全て手先の機関を動かしていますからね。後は、CNT(カーボンナノチューブ)の不法輸出の現場を押さえてそこから強制捜査に持ち込みたいですね。」

 「それと、有馬地区の投資については理事会の承認は得られましたでしょうか。」と伊勢が尋ねます。

 「もちろん、承認した。当初の計画通りに進んでおるからな。しかし、深田理事が薦める西川という男、深田理事の目は確かなのは承知しておるが、伊勢も確認するように。」

 「はい、大阪にはソーレにも協力要請に行きますので、その際に。」と、伊勢信一郎は答えました。モカのフルーティで甘い香りを楽しみながら一口飲む姿もやっぱりダンディーです。

 西川アセットコンサルタント社長西川しんと総合商社宅安物産役員宅安漬雄たくあんつけおが知り合ったのは、西川の会社も入っている地上31階建の高層集合オフィスビル「中之島丸井ビルディング」の最上階からスリーフロアを占めている、ソーレ大阪本社でした。

 ソーレ(’SORAY’)は1920年代に滋賀県で創業された化学繊維会社であり、通常の繊維の生産はもちろん、炭素繊維複合材料でも世界のトップクラスのシェアを誇っています。そして、その炭素繊維複合材料には、航空・宇宙工学でも用いられてる炭素繊維強化プラスチック(CFRP)も含まれているのです。

 CFRPは、炭素繊維を強化材としたエキシポ樹脂のプラスチックであり、軽くて強いという特徴があり、車両、航空機、ロケット等のボディーにも用いられています。さらにこれを熱処理して炭素化して作られる耐熱タイルはロケットの高熱部分にも用いられるという応用性の高い材料なのです。

 西川しんは琵琶湖畔のCFRP研究所新設用地のコンサルタントをソーレから請け負っていました。そこで、ソーレにCFRP買付けのため顔を出していた宅安漬雄たくあんつけおと名刺交換したのが始まりだったのです。

 つまり、日本名勝保護協会(JSSP)は、半導体等に活用できるCNT(カーボンナノチューブ)だけでなく、ロケットの上部衛星搭載部、段間部、固体ロケットブースターケースなどに用いられているCFRP(炭素繊維強化プラスチック)や耐熱性に優れた炭素繊維複合材料も買い集めていたことになります。これらはどれも輸出貿易管理令に定めるリスト規制貨物に該当するので、輸出には経済産業大臣の許可を得ないといけません。

 それを得ないで輸出している現場を押さえるために、伊勢信一郎はソーレ大阪本社に協力要請をしに行くことにしたのです。

解説

JAFIC(犯罪収益移転防止対策室)

 JAFICは、Japan Financial Intelligence Center の略称であり、我が国における資金情報機関(FIU:Financial Intelligence Unit)の業務を担っています。その組織名は、国家公安委員会の管理下にある「警察庁刑事局組織犯罪対策部 組織犯罪対策第一課 犯罪収益移転防止対策室」です。

 犯罪収益移転防止対策室は、特定事業者から届け出られた疑わしい取引に関する情報を集約し、整理・分析して捜査機関等に提供する業務を中心に、犯罪収益移転防止法の施行において中心的役割を果たす組織なのです。

 現在、犯罪収益移転防止法の施行に関する事務は、警察庁刑事局 組織犯罪対策部 組織犯罪対策第一課 犯罪収益移転防止対策室長を中心に、国際連携対策官等の職員が処理しています。そして年次報告書にまとめています。

 JAFICでの調査・分析を集計して、国家公安委員会では「犯罪収益移転危険度調査書」を作成しています。また、日本の捜査機関のみならず、外国FIUにも情報提供をしているのです。

炭素繊維強化プラスチック(CFRP)

 CNT(カーボンナノチューブ)は、レアメタルを使わない半導体の精製に用いられたりしますが、大きな素材として用いるのはまだ難しい状況です。したがって、おなじ炭素系ではカーボン樹脂で炭素素材を固めた炭素繊維強化プラスチック(CFRP)が実用化が進んでいるのです。ガラス繊維をエキシポ樹脂で固めたグラスファイバーと似ていますが、炭素素材を繊維として編み込んだものをエキシポ樹脂で固めるので、一般的に強度はCFRPの方が上であり、軽いのです。

 炭素繊維はさらにピッチ系炭素繊維とPAN系炭素繊維に分類できますが、ピッチ系は長繊維として製造するのが難しく、またPAN系の方が圧縮強度や引張強度が高いので、PAN系炭素繊維の方が用いられる分野は広いのです。

 ソーレはPAN系炭素繊維で世界のトップレベルのシェアを占めている「ソレカ」のメーカーとしています。