60. クロージング

まえがき

 川西達郎は家族会議で有馬焼の売却を伝えます。

ストーリー

安産祈願・宝塚市中山寺

 皇室献上陶器有馬焼窯元清和の工房建物とその敷地、そして川西達郎、花子夫婦の所有山林についての買受人側の買収監査と山林現地調査は1週間ほどかかりました。

 従業員には銀行融資のための担保評価が入るとあらかじめ言っておりましたので混乱もなく無事に完了し、最終買取価格も少し不満な程度に収まり、最終契約を待つのみとなりました。

 そして、今日は久しぶりに東京に嫁いだ長女の佐紀さんが夫で坂元八造の一人息子である一八かづやくんと、同じく東京都千代田区飯田橋にある準大手ゼネコン間久戸まくど建設工業に勤務する頼りない長男の俊夫くんも帰省しています。大事な話があるからと呼び寄せ、工房3階の8畳と6畳の続き間和室に家族全員が揃ったのです。

 「お母ちゃん、なんなん。俊夫は会社辞めたない言うてるで。そうやろ。」と、賢い佐紀さんは切っ先を制します。俊夫くんは気弱そうに頷くばかりです。

 「違うんよ。驚かんとお父ちゃんの話をよく聞いてえな。」と、花子さんは玉露を注いだ有馬焼の湯飲みをテーブルに置きました。すでにお土産の人形焼の箱の蓋も開いています。

 皆が注視する中、川西達郎は思い切ってこれからのことを言いました。

 「実は、有馬焼窯元清和とこの工房、そして山林も全て売ることにした。」

 「えっ、それ何。どういうこと。」と、さすがの佐紀さんも絶句しました。実は、佐紀さんのお腹には川西達郎の初孫ができていて、それを機に夫の一八かづやくんは大阪支店への転勤願いを提出し辞令が出たことを報告するつもりだったのです。

 「ちょっと待って。駄目よ。私が四代目を継ぐんやから。」と、思いがけない佐紀さんの言葉。

 「いや、もう四代目清和は決まったんや。」と、川西達郎は首を横に振りました。

 「あっちゃんよ。覚えてる?」と、嬉しそうに花子さん。

 「丹波立杭焼和丹窯たんばたちくいやきわたんがまの次男坊、和田篤二郎くんや。」と、川西達郎はほこらしげに言いました。

 その名前を聞いた途端、佐紀さんの態度が一変しました。篤二郎くんは佐紀さんの初恋の相手だったのです。といっても片思いでしたが。

 「お父ちゃん、いつまでここに居られるの?」と、慎重に聞く佐紀さん。

 「来月最終契約したら、二週間以内に引越しせなあかん。とりあえず、阪急宝塚駅前の賃貸マンションに借り住まいすることにした。ただ、わしは一年間は相談役として篤二郎を教育せなあかんのや。」と、川西達郎は佐紀さんの思いに気づかず答えます。

 「そう、一年は通うんやね。」と、意味深に聞く佐紀さん。

 「大変そうやから、私も手伝うわ。」

 のん気な一八かづやくんは佐紀さんの隣で黙って人形焼をほおばり、玉露をすすっています。はてさて、この先どうなることやら。

 こうして、川西達郎は窯元清和の取締役である佐紀さんと株主の俊夫くんの承諾を得て、「株式譲渡承認」が家族4人の株主総会で決議されたのです。また、川西達郎と花子は初孫の報告に驚き、大変喜んだのでした。

 そして、公益財団法人みやこ財団の出資する日本ホラリス投資法人(親SPC(特別目的会社))から投資を受けた有馬モール事業(子SPC)での西川しんの有馬地区買収は全て無事完了しました。

 皇室献上陶器有馬焼窯元清和では、しぶがき銀行木津根きつね支店長同席のもと株式譲渡に関する調印式と従業員への説明会が滞りなく開催され、和田篤二郎を四代目として再出発するのでした。

 さて、川西達郎と花子さんは宝塚市内に二世帯住宅を建築し、大阪に転勤になった一八かづやくんと佐紀さん夫婦は同居することに決まりました。俊夫くんは川西達郎の親友の黒枝豆男に一生の頼みと頭を下げられ、子どものいない黒枝夫婦の養子となったのです。

 UR賃貸(旧公団)『竹の塚』団地のエレベーターなし5階建の4階部分にある坂元八造宅では、奥さんの一美ひとみさんがもう3日も寝込んでいます。長男一八かづやくん夫妻と二世帯同居を計画していたところが、一八かづやくんの大阪転勤が決まり、奥さんの佐紀さんの両親との同居が決まったからです。

 「なあ、元気だせよ。俺達結婚して新築のこの団地に住み始めて40年近くになるじゃないか。ここはいいとこだよ。もう少し居よう。さあ、駅前のカフェでいちごのショートケーキ買ってきたからさ。食べよう。」と、八造がなぐさめます。

 「初孫の顔もろくに見れないところに行っちゃうのよ。これじゃ婿に出したようじゃない。」と、布団にくるまったまま返事する一美ひとみさん。大事な一人息子をとられた感いっぱいです。

 「それも一八かづやが選んだことだよ。俺の休みがとれたら二人で宝塚に会いに行けばいいじゃないか。喜んで送り出してやろう。」

 一美ひとみさんが立ち直るまでまだしばらくはかかりそうです。

 さて、「セブン・フラッグス」テーマパークとオフィシャルホテル「ザ・オーバーヘッドホテルズ宝塚」、さらに有馬地区高級会員制ショッピングセンター「プレミアム・モール有馬」の日常の運営管理は株式会社西川アセットコンサルタントがプロパティマネージャー(PM)として担当し、社長の西川しんは軌道に乗せるため忙しい日々を送っています。また、彼は結局総合商社宅安たくあん物産の資産運用からは手を引きました。

 そして、深田理事の推薦の上、理事会の決議により、西川しんは公益財団法人みやこ財団の新しい理事に就任したのでした。

 なお、この2つのSPC(特別目的会社)には、しぶがき銀行のノン・リコースローンが組まれています。デット(負債)となりますが、レバレッジ(梃子てこ)を効かせてより大きなリターンが得られるからです。

 この功績でしぶがき銀行本店プライベートバンキング部長横縞寅男よこしまとらおはしぶがき銀行の取締役に、藤原台支店木津根きつね支店長は子会社のほしがきクレジット社長に内定しました。そして田貫たぬき次長は藤原台支店の支店長になったのです。ちょっとくやしいですね。

 「ボスは俺にセブン・フラッグスの経営を任せてくれるのかと思っていたんですけどね。なんせ執行役員だし。」と、鮮やかなレッドカラーの4ドアクロスオーバーSUV「テスラ・モデルY」のハンドルを握りながら金田俊哉はふくれて言いました。

 「まだ若すぎるよ。西川理事で良かったと思うよ。それより、この車は深田理事のだろ。」と、助手席に座っている坂元八造が尋ねます。

 「俺がポルシェ・911カレラに乗っていると言ったら、そんな仕事に使えん車に乗るなと深田のじいさんに預けさせられたんですよ。」

 「で、代車がこれか。でも、結構気に入ってるだろ。」

 「まあね、最新機能満載だもん。しばらく我慢して使ってやりますよ。」

 「俺たちも最初はファミリーオフィス銀座の正体を疑っていたけど、深田理事のおかげですっかり溶け込んでしまったからなあ。」と、坂元八造は感慨深く言いました。

 「でも、まだ日本名勝保護協会(JSSP)は活動しているんだから、気を引き締めていかないとな。」

 そう、世界的犯罪企業WSSPとの戦いは始まったばかりなのです。

(第一話 有馬窯元M&A事件 完)

※本作品はフィクションであり、実在の人物、法人、団体、地名、設定等とは一切関係ございません。また、著作権は著者に属し、無断転載、引用を禁じます。

解説

M&A最終契約、クロージング

 M&Aの最終段階、最終契約書の締結とクロージングについて解説いたしましょう。それまでの手続きの流れについては、「40. しぶがき銀行本店【解説】M&A面談」~「45. 有馬地区モール計画【解説】M&A基本合意書」までをご覧下さい。

 基本合意書を締結後、買主側により買収監査(DD(デューデリジェンス))が入ります。売主側からの提出資料が適正なものであるか、現地調査して問題点や隠れた負債等はないか、買収価格は適正かどうかなどが監査されるのです。

 特に問題となるのは、現在係争を抱えている場合や、簿外負債が発見された場合など、買収完了後に発生する可能性のある追加的な債務です。

 このため、最終契約書には「表明保証」の条項を入れる必要があります。これは売主側が買主側に追加的な債務が発生しないことを保証する内容で、もし発生した場合には損害賠償責任を負うこと、程度によっては契約解除になることを期間を決めて条項にします。金額は任意ですが、損害賠償額全額を買収完了後1年間保証する場合が多いでしょう。

 この最終契約書は株式譲渡の場合、株式譲渡契約書という形式になります。一部事業譲渡の場合は、事業譲渡契約書の形式です。

 一般に、最終契約書の調印とクロージング(決済・引渡し)は別の日に設定されますが、中小企業では同日に一括決済してしまう場合もあります。その際は、契約時に株券(または取締役会(または株主総会)の株式譲渡承認通知書)、不動産の権利書(または登記識別情報)、取締役会議事録(または株主総会議事録)、実印、通帳などを用意します。

 クロージング日には、このように権利書類の引渡しと買収代金の支払いが同時に行われ、終了後株主名簿の書き換えと不動産の所有権移転登記がされるのです。

 なお、買収代金の支払いは、一括払いか分割払いかは双方の話し合いで決められます。不動産に居住している場合などは引き渡し猶予期間が設定されます。

 また、最終契約書の調印日とクロージング日が別日程で設定されている場合、その間売主側は善管注意義務を負い、万一追加負債が発生した場合には買収価格が見直されることも最終契約書には条項として記載しておくことが良いでしょう。

 皇室献上陶器有馬焼窯元清和では、三代目川西達郎が四代目和田篤二郎を一年間教育するために相談役として残ることは、万一の場合の表明保証の損害賠償を確実にさせることのしばりにもなるので、買主側にとって利点があり、条項に入れているのです。

皇室献上

 有馬焼窯元清和では「皇室献上陶器」を冠に付けています。献上品は皇室に無償で献上される品を意味しています。対して、御用達は宮内庁と取引して対価を伴い納められた商品です。

 有馬焼が皇室献上陶器を名乗っていることを疑問に思う読者もおられることと思います。第一話ではそのことに触れていなかったのですが、今後お話しする機会もあるでしょう。お楽しみに。

 それでは第二話「AGIボナパルト」でまたお会いしましょう。さよなら、さよなら、さよなら。